最近有名所が相次いで亡くなっている。
その原因がガンだということが少々気になる。
あの強くて元気だった山本選手がここ最近ガンだということを公表して、それからあっという間に他界。
これは同じ土俵でやってきた者としてはショックである。
彼とはお会いしたことこそないが、勝手に親近感を覚えていたものだ。
はじめて接骨院を開業した際に業者から紹介された治療用の機械の発案者は山本郁榮氏、つまりKID選手のお父さんだった!
そして開業後しばらくして神奈川県レスリング協会のメンバーとして試合運営の補助をさせていただいた際にも、試合後の血のついたマットをすばやく清掃していたら、郁榮さんも横で清掃していて、「ああ、この人がウチの機械の発案者なんだな」(笑)などと思った記憶がある。
母校のOBの先輩方にとっては、良くも悪くも、もっとご縁のあることで、試合の審判を務めた際のお話しを聞いたが、ここではその話は割愛しよう。
また、KID選手といえば、やはり美優(姉)選手を思い出す方も多いことだろう。しかし、私個人としては妹さん(現ダルビッシュ夫人)の方が思い出深い。審判の補助をしていてジャッジペーパーを直接試合後に汗だくで持ってきた聖子さんのお顔を思い出す。こちらも凄い選手だった。
私の気功の師匠も時々「あの子はオレがプロの世界に行かせたんだよ。」とおっしゃっている。やはりアマチュアの世界にとどまるには少々ヤンチャが過ぎる男だったようだ。
神奈川県でレスリングに関わる人たちにとっては、どうしても山本家の人々は印象深いのである。
しかし、あれだけ活躍した選手がたった41年で生涯に幕をおろしてしまうなどと一体誰が想像したであろうか?
プロ格闘技の軽量級戦線を爆発的に盛り上げて牽引した功績は計り知れず、その意味ではやはり太く短く生きたのだろうか?
いずれにせよ、今後彼が伝説のファイターとして語り継がれることは間違いないだろう。
合掌